2013年11月10日日曜日

これまで 2



だいぶ虐められるようにして動画制作しました。
今まで映像を作ってきてはいたものの、今回はイイという判断が自分だけではなくて、やはり他人のオーダーを受けるというのは「できません」と言いたくなるもの。
でも、できました。そういうものですね、可能性ってのは。

相手とのエネルギー交換や信頼がないと出来ない。まだまだ良くなるはずだと思えたから進める。そう学びました。

できない・イジメだ と閉ざしていたらこの動画は存在しません。


昨日、EGGOREの建一郎さんがフランス行きついでにプロモをかけてくれる映像編集が終わり、無事DVDとなりました。多くの人のエネルギーが参加してくれてます、感謝しています。

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先日の金沢4649MTGが楽しかった。なんというか情熱がある。それだけで動くことがあると信じてますし。

京都で経営に入ったカフェは、結局自分のやるべきことでは無かったんだろう、と。現場の声はもちろん第一でしょうが、なんのためにやっているのか? 何を提供したいのか? が共有できず、情熱の向ける方向と違うということが決定的で完全に離れました。
自分は自分の道に進み、陰ながら貢献するしか無いと。それも自分の一部だと覚悟して、エネルギーに換えて進みます。

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「原発反対」というフレーズは3.11前には2度しか行ったことが無くて、なぜなら原発そのものよりはそこで起こっている事を知らない・知らせないメディアの規制・知っても何もしない人々 に憤りを感じていたからです。

放射能怖い・構造はこんなに不条理 3.11後は知っていても何も出来ない誰かや自分に腹が立っていました。もっと知名度があればとか、影響力があればとか。だから応援はしてきましたが、結局誰かを持ち上げてもいつか落とすだけ。もしくは、理想と違ってたというだけで進まないんです、内面・内観が。

自分の霊性もキチガイ扱いされれば終了って具合で生きていて、そんな時にEGGOREの鉄秀さんと会って、ああそれでいいのね。って思えて

現実物質世界で起こっている全ては自分の一部です。自分の細胞の一部であり、自分の醜い面の一部である。そう思えれば、あえて攻撃する事もしない。それは自分の体の一部だから。

自然治癒力を高めれば、悪い細胞も死滅してしまう気がします。し、いつまでも悪い細胞自体が消える事はありません。悪い事に注目してエネルギーを使うよりは、健全な細胞にもっと活発に動いて欲しいと。

そういう話を美術舞台「ミチルト」で表現しているつもりで

あ、捉え方は限定しない方がいい

表現者というのは狂ってますね、そりゃ狂いようがあるから表現者なんでしょうが。ミチルトの音響をやってくれているシンちゃんが良いことを言ってくれました。

アーティストは表現者として前に出るけど、裏方は表に出ないってことじゃない 「立ち方だ」と。

自分の立ち方が「ミチルト」で新たな域に入りました。ここからはマラソンです。死んでからしか世に出ないような旅です。それは嫌なので早めに世に出たいなぁー その旅は我慢?いや修行の深さでしょう。

修行するぞ 修行するぞ 修行するぞ

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シャーマン としての生に自覚し 天に任せた 2009年以降
たまにテラの欲と一般論に流されながらも少しずつ安定
でもあまちゃんだね〜 歳をもっと重ねましょう 頑張って



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